循環する思い
とりとめのない記憶、光景、昔観たドラマの一場面、誰かの言った何気ないひと言がふと甦ってくる瞬間がある。
一生のうち幾度もないことで、そのコアは幼年期に育まれるもののように思う。たとえば、死という事実のもたらす衝撃とともにある一つの思い、ぬくもりのようなもの。
怖れることはない、この思いは還ってくる。この思いを失いたくないと思う。それは残る。それは確かなことだ。
孤独のうちにあっても、ともに歩いているという感覚である。ひとは失うという厳しさに耐えなければならない。泣き、苦しみ、もがき、それでも歩いて行かなければならない。そのためにどうしても必要なことだ。悲しみだけでは生きて行けない。
じつは言葉にすれば、とても単純なことを知るために永い旅が必要なのだ。ある一つの場所に立ち返るための旅なのだが、そのことに気づくのにも相応の歳月がかかる。
さしたる意味もない追憶の残滓のように感じられるそれら、その思いが大いなる循環の内にあったのだということを知るのは、ずっと後である。しかし、どうしても思い出さなければならないことだ。
(2005.10)